ナイトウォーク


終戦から 29年もの間、フィリピン・ルバング島で戦い続けていた小野田寛郎少尉を覚えておられるだろうか。
私は12年前、究極の予防は「病気になる仕組みを一人一人が知って、そうならない行動を自ら取ることである」と考え、ウェル・ビーイング・プレスという健康啓発誌を発行した。ヘルスリテラシーなどという言葉もない頃なので、「いまどき紙ですか?」と言われ、全く売れなかったが、「人生の達人」というコーナーで、人生の成功者と私が人選した方々にインタビューして、人生と健康に関して語って頂いた。その一人が小野田さんであった。
健康と生と死は切っても切り離せない。彼を選んだ理由は「29年間も生と死を見つめていた人は他にいない」と思ったからである。
日本と日本人をこよなく愛していた彼は、変わり過ぎた日本に失望し、ブラジルに永住する。しかし、息子が金属バットで両親を殺害した事件をきっかけに日本に戻り、日本の若者の為の「小野田自然塾」を創設した。
小野田自然塾で必ず行うことはたった2つ。食事をつくるのに必要なコメやなべや燃料を探し合うサバイバルゲームと、夜一人で小さな山を登って下りてくるナイトウォークだ。
サバイバルゲームではダブって得たものを不足するものと交換する「交渉」が後に控え、遺恨を残すような物品の獲得をすると、ここで苦労する事を学ぶそうだ。
「人生はバックミラーしかない自動車を運転するようなものである」と言った人がいる。
暗闇を手探りで進むナイトウォークもこれに似ている。進路にはブッシュや堀もあり、参加者全員が転び、傷つく。本来、これが人生なのに、今の若者には転ばぬ先の杖が、両親と祖父母4人から6本も渡されているので、転んだこともなく、転び方も知らないと彼は言う。しかし、ずっと両親が付き添えるわけもなく、若者はいつか一人でナイトウォークをしなければならない。その時に転んだことがない子供の中には顔から落ちて大けがをする子もいるそうである。
何度か転ぶと「ナイトウォークでは必ず転ぶ。であれば、最小限の被害に止められる歩き方をしよう」と手を前に出し、膝を折って全身神経にしながら一歩一歩進み「転んでも怪我をしない歩き方事」を全員が体得するそうである。
集団における保健事業も同じかもしれない。どうすれば保健事業がうまくいくかを知ってる人もいるし、それを伝えようとする人もいる。しかし、その集団の決定権者が自分達のこととして必死にならない限り、その「体得」は難しい。
脳科学や心理学では「メタ認知」という言葉が使われる。集団のリーダーが個の存続ではなく集団の存続を考える際に生まれる意識らしい。
健康保険組合という集団を率いるリーダーとして「どうすれば全員が大きな怪我なく夜の山を越えられるか」、今こそ、メタ認知が求められる。

文責:鈴木誠二